はたのこのこのこ

はたのこの雑記

桑沢デザイン研究所『夏期講習:夜間デッサン』&『デザインの本質』ワークショップに参加

今年のお盆は11日から始まり、

演劇を見て(前回の記事)、

デッサンして、

病院いって、エステ行って、

夜の街に飛び出し、(ん?)

気の知れた友達とご飯を食べ、

鎌倉で丼を食べ、

下町通り行って、神社行って、

ゴロゴロして、

ワークショップ行って。

17日は午後休んだので、

6.5日くらいのお盆休みでした。

 

 11日:夜間デッサン『てぶらでデッサン』

時間をかけて球体を書きました。

ものをしっかり見て描いたのは久しぶりです。

デッサンは専門学校で少し習ったのですが、デッサン狂いでした。

雰囲気でごまかして描いてたんです。

なんで見るたび見るたび見方が変わっちゃうんだろう?って思ってて、デッサン好きじゃなかったんですけど、首やらなんやら体が上下に動いていたことにやっと気付きました。。。描くキャンバスと物体が視線の動きだけで視界に入るようにって言われたら納得。見方が変わらないぞ!やった!これに気がつくのに時間を使いすぎた…。

あとはこの球体を触ってる撫でてる気分で〜とか、自分が小人になって移動している気分で〜とか先生の表現も好き。描きやすい感覚をつかむことができました。

 

私のはどれでしょう?

 

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プロじゃない人の絵を生で見るのはすごく久しぶり。自分に足りないものとか描きたい理想の濃さとかに向き合うことができ、老若男女のバランスのいい教室が自分にとって刺激になった講座でした。先生に紙とか鉛筆、練り消しもいただいたし、何かデッサンしてみようかな。

 

正解は真ん中右でした〜! 

 

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16日・17日:ワークショップ『デザインの本質』

こっちは最初、難しかった。最終的に紐解かれますが。

16日は『色彩構成』

隣の人とコミュニケーションをとり、色を6色選ぶ。

隣の人がめっちゃ話しやすくて、よかった。またどっかで会いたいなぁ。

筆が3本ほど、12色のクレヨン、さっき選んだ6色の絵の具で感情を表現。

喜怒哀楽。どこがどの感情か思ったことが同じ人は感性が似ているだろうから、話が合う気がします。

 

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あとは隣の人と色で線での会話。

テーマは大きく、各グループが考えた。写真はないです…。でも私は隣の人と「地球温暖化」について紙の上で会話。

ただでさえ会話が苦手で様子を伺いすぎたり、そのまんま受け取って解釈違いを起こしがちなのでこれがすごく難しかったです。

 

17日は『デッサン』

16日はしっかり向き合えていなかった本質に向き合い始めます。

またまた喜怒哀楽で線を走らす。色はないから線だけで表現。

どこがどの感情か思ったことが同じ人は感性が似(以下同文

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 りんごを選んでりんごをデッサン。

デッサンってモチーフを真ん中に描くように言われるんですけど、ここではそうは言われません。選んだりんごを、触ったり、匂いを嗅いだり、見るだけじゃないことをして、りんごを描く。11日のデッサンとはまた違います。思いをそのままぶつけられたのはこっちかも。でも夜間デッサンがなかったら、こんな風には欠けていなかったかと思います。めっちゃ傷が多めのりんごで、その寂しさが伝わっっていると嬉しいです。

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私がお盆休みで芸術に触れて気づいたこと、思い出されたことは、私はやっぱり手を動かすことが好き。匂いを嗅ぐことが好き。雰囲気で基本選んでいること。好きなものじゃないこと、楽しくないことは掘り下げていけないということ。まだまだいっぱいあるんですけど言葉にするのは難しい。言葉で表現することが苦手なことを加えて他にも。

16・17日の話は私の中で濃厚でうわーーーーってなってるんですけど、説明しようとするとへんな宗教にはまった人に見えるらしいのでやめておきます。

宗教全否定派ではないのですがね。宗教って利益を求めず、理念でおわれば美しいものだと思いますよ、他人にどう思われても。

 

利益のことばかり考えていた最近の自分が恥ずかしい。

それでもお金は欲しいけど。

利益や名誉を置いておいて、自分から生まれてくるさまざまなものことには目を背けないように、自分と向き合って進んでいきたいと思います。

 

『りさ子のガチ恋♡俳優沼』観劇しました。

8月11日、『りさ子のガチ恋♡俳優沼』観劇しました。

 

 

 ツイッターに呟いたのは当たり障りない感想。

 

ちょっと根掘り葉掘り自分の中でモグラのように掘り下げたいと思う。

 

観劇のきっかけですが、脚本家推しなので←

チケットも誰からのルートか選べるシステムだったんですが、くれはさん選択してます←

 

人間味が強すぎてみたあと、率直に感想言えないんですよね。

あとなんかモヤモヤしちゃって。

モヤモヤ治らないし。

でも癖になるモヤモヤなんですよね⇦

 

私はりさ子側の人間としての感想をつぶやきますね。

 

りさ子にはすぐに自己投影しちゃいました…。だって服装似てるし髪型も近いから…。

私は彼女になりたいに近い、友達になりたいの気持ちが大きくなるマンです。

だからスッと自己投影。

演出がずるいんですよ、客席にファン役の人たちがいたり、舞台挨拶の拍手をする雰囲気とか。

私たちもまんまとあの舞台に立ってしまった。

りさ子の気持ちがいたいほどわかるから自己投影って今お話ししてますが、舞台を観に行く人、だれしもが、心にりさ子がいるんだと思う。

舞台だけじゃなくて、歌い手にハマってる人も、バンドにハマっている人も、ジャニ好きの人も絵師さん好きな人も含め、応援している人みんな。

 

少しでも近づきたい、私なのかのその人を壊すものは邪魔。

その人本人から言われたら冷める、ある意味燃える。

そういうものです。

 

同じ人間だから、対等なはずなのに、応援する人される人の間で不思議と上下関係のようなものができてしまう。

これは見えない壁。

あちら側は嫌われたくないから対応良くするし、こちら側は好かれたいからなんでもする。

お互いの承認欲求がぶつかってできる壁です。

気づいてるけど、目を背けてきた事実にぶつかった感じ。

 

それを舞台で表現されてしまった。。。

 

こわ。。。

 

あと女と男ということ、愛ということ。おっぱいって武器、女って武器。

あなたの愛は何を持っての愛なのかと問われた気分。

りさ子のガチ恋♡俳優沼の♡が空っぽに見えるのは私だけですか?

 

あと、差し入れ、プレゼントってすごく悩む。

買ってきたお菓子とイラストしか渡したことないのですが、

何回もものに残るものをあげようと考えたことか、

身に付けるものを渡そうとしたことか。。。

彼女気取りかよって言い聞かせてお菓子を買います。

買って満足してしまっていたかも。あげることに意味を出していたかも。

独りよがりでした。。。反省。。。

今度から何が欲しくていらないのか、教えてもらおう……。

 

表にたつ人はみんな裏を持っていると思ってしまったが、

私も普通の人だけど裏あるわ。人間だいたいみんなあるわ……。

 

関係ないね。

もっと詳しいことは

 

clarice20.hatenablog.com

この方の意見がうんうんってなります。

 

個人的には俳優さんの名前と役名を似せているところがすき。。。

余計好きにも嫌いにもなっちゃうよね!

 

あとはTwitterのツイートの表現。

いいことは私が発信してますと知って欲しいけど、

批判悪口は仮面をかぶって匿名で。。。アンチしかり裏垢しかり。

りさ子のガチ恋♡俳優沼(@risako_gachikoi)さん | Twitter

のアカウントももっと伏線だらけだったら興奮しますね。

 

DVD通販買う予定…。

握手券とかついてたらある意味悪意、そしてこの劇の本質かと。

 

私も飽きるまで、時間がある限り、いろんなものを見れますように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私を知らないで 🌻 観劇しました ※ネタバレあり

7月某日、阿佐ヶ谷で行われていた「私を知らないで」を観劇しました。

 

http://drama.kuromaku.co.jp

 

Twitterに長々と書いたのが感想です…。

 

 

https://twitter.com/i/moments/896920695451533312

 

 

大人になったからなのか、過去を忘れたいからなのかわからないけどがっつり入り込まなかった。でもいつも考えさせられてしまうからすぐ感想って長々描けないんですよね。

 

そしたら時間が経ってしまいました(あらら)

 

演劇、どのシーンも出るってすごく疲れるんですよね…。だから主人公の方はすごかった…。

 

私は原作を結局読んでないのであれなんですが、美談が美談に聞こえない話って感じです。

 

また同じ人たちでみたいな…。

 

 

もっと

もっとブログ書きたいなと思いつつ、

『書きたいな』で終わってしまってます。

 

もともと文章能力をあげたくて始めたものなんですが、

順調にはいきませんね。

 

ライフワークバランスがうまくコントロールできず、もやもや。

 

そんな中でも、インスタグラムを始めました。

 

www.instagram.com

サインペンで一発描き。

印刷すれば塗り絵になりそうな簡単なものを。

そこから毎日続けられるように。

でも週休二日にしたい。笑

 

継続力を少しずつ鍛えたいと思います。

 

 

 

 

僕はただの小学生だよ!【名探偵コナン映画:瞳の中の暗殺者】

どうもお久しぶりです。

 

最近昔のものを見るのにはまっております。

結構美化している記憶とか、あるんですよね…。

 

私の幼少期の少年漫画といえば『名探偵コナン』と『クレヨンしんちゃん

 

いちばん好きなんだよな〜〜でも犯人忘れたなーっていうコナンの作品、『瞳の中の暗殺者』

をみて大人になって思うことが違くなったなと思ったので記します。

 

以下ネタバレ注意。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大雑把にまとめると、蘭ねーちゃんが精神的ショックにより記憶を失い、その際犯人の顔を見てしまっているので狙われるけど記憶も蘇るし犯人捕まえるという話です。

 

個人的感想は

愛されてる佐藤刑事ッッッ

蘭ねーちゃん最強説

 

ですね。

 

佐藤刑事が撃たれてしまい、それを見てた蘭ねーちゃんが記憶を失うのですが、

 

蘭ねーちゃんの記憶を失った時の、いつもと違う優しい感じ!!儚さ!!があります。

 

アニメ界の吉田沙保里さんのような立ち位置だと思ってるんですけど、もう、そんな面影ないくらい弱ります(かわいい)

 

でもどこか覚えている新一との記憶。

記憶を呼び醒すために、あの例の遊園地へ出向き、想いを馳せます。

 

なんだかんだコナンくんが犯人から守ってくれて、新一の記憶も犯人の記憶もそして空手の都大会で優勝したことを思い出します。(3つめ重要)

そして犯人正当防衛撃退。。。

か弱かったのに強くなったところにギャップを感じますね( ˘ω˘ ) 

 

そして佐藤刑事が息を取り戻した時の周りの刑事さんの喜びがすごい!!

(((特に香取刑事)))

 

コナンのヒロインって愛されてるなーて思いました。とにかく蘭ねーちゃん推しには是非!!

あと蘭のお母さん妃さんも出て来るので!

小五郎と妃さん好きな方も是非!

家族団欒が見られます!

 

 

 

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23歳って。

本日23歳になりました。

月日が流れるのは早いですね。

 

今月入ってからずっと抱負を考えてたので、抱負を述べたいと思います。

 

◯仕事のこと

・自分から踏み込むようになる

*今までデザインとかも言われた通りにしかやってこなかったので、自分から見たときの意見を言えるようになりたいです。

・信頼を得る

*まだまだ入社3年目のクソガキ。安心して任せてもらえないことだらけ。それを少しでも減らしたいです。

 

◯恋愛のこと

・恋人ができても簡単に公表しない

*情報社会で容易く載せたくないっていうだけ。別れたらしいよとか付き合ったらしいよとかめんどくさいから。

*私が求めてるのは、『私のことが好きで、優しくて、私より稼いでるか、私より頭が良くて、私の夢をバカにしない、平成生まれ、1990年代生まれの、できることなら私より背が高くてイケメンの人』です。何卒よろしくです。

・未来の旦那さんのために料理を覚える

*私、米を炊く、麺を茹でる、 ぐらいしかちゃんとできてなくて。野菜とかの切り方変だし、炒めるのとか煮込むのとかほぼできてませんし、味付けはもってのほかです。それをなんとかしたいです。

 

◯私ということ

・数年後のビジョンを明確にする

*漠然としていることだらけです。仕事のことも恋愛のことも生きることも。東京オリンピックぐらいまでのビジョンを明確にしたいです。

・夢に進むこと

*私が結局なりたいものは変わらないからそれに向かって進むようにはしたい。それだけじゃ無理かもしれないから、今思いつく学べることを学んでいきたいです。

 

◯最後に

もっと23歳って大人だと思ってた。

思ってた以上にまだまだ子供です。私だけかもだけど。結局、自分の理想の大人になるまで、私はずっと自分のことを子供だと思うんだろうな。自分の理想の大人…ってなんだろ。

それを23歳のうちに見つけられればと、思います。23歳、1日目、おしまい。

 

 

『わたしの、領分』観劇してきました

観劇してきました。

「わたしの、領分」
前回の「わたしの、領分。」は

まだ出会っていなかったのですが、
あとから気になりまして、

ずっと観たかった作品です

まず、作品を書いてる人の話になってしまうのですが、くれは先生の作品は、闇が深くて、考えさせられることが多くて、正直、病みます。

わたしは病みやすいので、、、

でも好きです、先生の書くお話
好き嫌いがはっきりする作品が多いなと、思ってます。
はまる人にははまる、そんな話

さて、話を戻します

あらすじ
 大学院を卒業し、都内の療育センターに配属されたばかりの心理士・萩野は、発達障害児を中心に面談を行っている。「いつか治りますよね?」「うちの子を障害者にする気か!」親たちは口々に言いながら、救いを求める眼差しを彼女へ向ける。認識の齟齬から生じる軋轢に悩みつつも、萩野は実直に、進むべき道を探してゆく。

 ある日。定期面談を終えたはずの青年が、センターにやってくる。勤務先での生活を嬉々として語る彼に、まとわりつく悪意の存在。青年が起こした傷害事件は社会を巻き込んだ「自閉症をめぐる問題」へと発展し、偏見と差別が膨らみ続けるなか、萩野は一人「こころ」と対峙する。

 世界のあいまいさを許容して生きるための。はるかから、わたしの物語。



ー舞台『わたしの、領分』ホームページより引用



劇場は狭く、息を吐く音、吸う音、全部が聞こえます、

観る側の席の位置でも、また、感じ方は変わってくると思います、

登場人物は、必要な人しかださない、

余計な回想もないので、無駄な部分がなくて、全部必要な部分、

一音一句聞き取りたいとまで、思ってしまう、

目が足りない、耳が足りない、

わたしは、自分は普通だと思ってる人にも、


自分は変わってると思っている人にも、


健常者でも障害者でも、

 

いろんな人にみて欲しいと思いました、

中途半端な冷やかしでは、観て欲しくない気もしてしまいます、

それでも、きっと、自分に近い人が、そこにいるはず、

また観たい、違う角度から、でも、きっと、、、





ところどころで、ひっかかっていた部分が、終わりにつれて、ほどけていくのに、

絡まった部分は、ほどけない、最後まで問いかけてくるような、お話でした











(以下、ネタバレ含む感想
苦手な方はここで読むのをやめてください)







すっきりしきれないお話、

ハッピーエンドにも、

バッドエンドにも取れるお話、

最後に、残るものがしっかりあるお話、



障害者の親の気持ち、

なんとかしようと支援する人の気持ち、
それを近くで見ている人の気持ち、

そんな人たちを、

その心を、

利用する人の気持ち、、、

わたしはどこの人と同じ気持ちだろう?と



でてくるひとたちが個性的というか、

キャラ立ちがかぶってなくて、

おちゃらけてる事務さんはほんとは正義感が強かったり(許せないことすぐ言えるとか)、

情報を常にチェックしてるベテランさんは自分を責めるところあったり(自分の自信のなさからかなとか)、

チーフも結構すぐキレるし(まじめなんでしょう)、ドクターは励ますの上手だったり(さすが医者)、

理解しようとしてそばにいる伴侶とか(めっちゃいいひと)、

親たちも、シングルマザーの強さと弱さとか(ほんとは脆い)、

子どもを普通にしたい親とか(幸薄いお母さんと、子育てしないのに文句いうお父さんとか)、

弱さに漬け込むインチキっぽいひと(足長かったな、言葉の軽さとか)とか、利用する女とか(性格の気が強い感じでてたなとか)、それを信じる純粋無垢な彼とか、

服装とか雰囲気とかから、感じれるから、

ちぐはぐしてなくて、

大体の観客が、

萩野は最初神経質な人なのかなと思うけど、

それも伏線だったり、(その今度にしようの流れのとき、度の意味か教えてってやつ)

子どもを産む産まないのお話とか、

偽善とか、障害とか、普通とか、考えようと思えば考えるところがいっぱいあって

パンフレットを見たときに、

発達障害の子どもたちのことを、Aくん、Bくん、Cくんと呼んでいるのがずっと不思議で、

だって他の人にはちゃんと名前があるから、

最初は、ドラえもんジャイ子の名前がない理由かと思っていたんですが、

最後に、はっとさせられました、家族ですら、他人行儀なときがあると

もちろん、結局当事者じゃないから、よくしているようにみえる

センターの人たちもCくんのことはCくんと呼ぶし、(彼女に関してはこいつ呼び出しね)

Aくん、Bくんは、「はるか」を演じている人が一緒に演じているのですが、

最初は”透明"なんですよ

その演出も好きで(いや、配役の都合なのかもしれませんが)、

しっかり母親が、子どもを名前を呼んだとき、わたしたち、観客の目にはちゃんと手を引く親子がみれる、その演出がぞくっとしました、(いい意味で)



あと、

萩野と「はるか」(同一人物だけど)、ちょいちょい、同じ動きをするんですよね

センターでも伴侶の前でも、ため息とか、眠ってて起きたときとか、

ふと「はるか」が出てくるときがあって、そこも「変われない、付き合っていくしかない」に繋がってて、

矛盾がないんですよね、萩野の最後の長いことばには(だから母親にも響いたんだと思います)

あと、「、」の意味が、最後にわかったときもはっとする

わたしも、今回は、意識してブログ書きました

普通ってなんでしょう?

境界線はどこなんでしょう?そんなものはないのかな?

またみたいなと思います、きっと、自分の立場が変わったら、

また見えてくるものは違うし、感じることも違ってくるし、

感情移入できるひとも、変わってくると思います、

でもきっと、、、









答えはみつけられない









最後まで、ご高覧いただき、ありがとうございました

『わたしの、領分』ホームページ▶︎舞台『わたしの、領分』

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