♀JK終わればただのメス♀

20代前半、地方住み、実家暮らし。目指せ、ひとりでできるもん。

『わたしの、領分』観劇してきました

観劇してきました。

「わたしの、領分」
前回の「わたしの、領分。」は

まだ出会っていなかったのですが、
あとから気になりまして、

ずっと観たかった作品です

まず、作品を書いてる人の話になってしまうのですが、くれは先生の作品は、闇が深くて、考えさせられることが多くて、正直、病みます。

わたしは病みやすいので、、、

でも好きです、先生の書くお話
好き嫌いがはっきりする作品が多いなと、思ってます。
はまる人にははまる、そんな話

さて、話を戻します

あらすじ
 大学院を卒業し、都内の療育センターに配属されたばかりの心理士・萩野は、発達障害児を中心に面談を行っている。「いつか治りますよね?」「うちの子を障害者にする気か!」親たちは口々に言いながら、救いを求める眼差しを彼女へ向ける。認識の齟齬から生じる軋轢に悩みつつも、萩野は実直に、進むべき道を探してゆく。

 ある日。定期面談を終えたはずの青年が、センターにやってくる。勤務先での生活を嬉々として語る彼に、まとわりつく悪意の存在。青年が起こした傷害事件は社会を巻き込んだ「自閉症をめぐる問題」へと発展し、偏見と差別が膨らみ続けるなか、萩野は一人「こころ」と対峙する。

 世界のあいまいさを許容して生きるための。はるかから、わたしの物語。



ー舞台『わたしの、領分』ホームページより引用



劇場は狭く、息を吐く音、吸う音、全部が聞こえます、

観る側の席の位置でも、また、感じ方は変わってくると思います、

登場人物は、必要な人しかださない、

余計な回想もないので、無駄な部分がなくて、全部必要な部分、

一音一句聞き取りたいとまで、思ってしまう、

目が足りない、耳が足りない、

わたしは、自分は普通だと思ってる人にも、


自分は変わってると思っている人にも、


健常者でも障害者でも、

 

いろんな人にみて欲しいと思いました、

中途半端な冷やかしでは、観て欲しくない気もしてしまいます、

それでも、きっと、自分に近い人が、そこにいるはず、

また観たい、違う角度から、でも、きっと、、、





ところどころで、ひっかかっていた部分が、終わりにつれて、ほどけていくのに、

絡まった部分は、ほどけない、最後まで問いかけてくるような、お話でした











(以下、ネタバレ含む感想
苦手な方はここで読むのをやめてください)







すっきりしきれないお話、

ハッピーエンドにも、

バッドエンドにも取れるお話、

最後に、残るものがしっかりあるお話、



障害者の親の気持ち、

なんとかしようと支援する人の気持ち、
それを近くで見ている人の気持ち、

そんな人たちを、

その心を、

利用する人の気持ち、、、

わたしはどこの人と同じ気持ちだろう?と



でてくるひとたちが個性的というか、

キャラ立ちがかぶってなくて、

おちゃらけてる事務さんはほんとは正義感が強かったり(許せないことすぐ言えるとか)、

情報を常にチェックしてるベテランさんは自分を責めるところあったり(自分の自信のなさからかなとか)、

チーフも結構すぐキレるし(まじめなんでしょう)、ドクターは励ますの上手だったり(さすが医者)、

理解しようとしてそばにいる伴侶とか(めっちゃいいひと)、

親たちも、シングルマザーの強さと弱さとか(ほんとは脆い)、

子どもを普通にしたい親とか(幸薄いお母さんと、子育てしないのに文句いうお父さんとか)、

弱さに漬け込むインチキっぽいひと(足長かったな、言葉の軽さとか)とか、利用する女とか(性格の気が強い感じでてたなとか)、それを信じる純粋無垢な彼とか、

服装とか雰囲気とかから、感じれるから、

ちぐはぐしてなくて、

大体の観客が、

萩野は最初神経質な人なのかなと思うけど、

それも伏線だったり、(その今度にしようの流れのとき、度の意味か教えてってやつ)

子どもを産む産まないのお話とか、

偽善とか、障害とか、普通とか、考えようと思えば考えるところがいっぱいあって

パンフレットを見たときに、

発達障害の子どもたちのことを、Aくん、Bくん、Cくんと呼んでいるのがずっと不思議で、

だって他の人にはちゃんと名前があるから、

最初は、ドラえもんジャイ子の名前がない理由かと思っていたんですが、

最後に、はっとさせられました、家族ですら、他人行儀なときがあると

もちろん、結局当事者じゃないから、よくしているようにみえる

センターの人たちもCくんのことはCくんと呼ぶし、(彼女に関してはこいつ呼び出しね)

Aくん、Bくんは、「はるか」を演じている人が一緒に演じているのですが、

最初は”透明"なんですよ

その演出も好きで(いや、配役の都合なのかもしれませんが)、

しっかり母親が、子どもを名前を呼んだとき、わたしたち、観客の目にはちゃんと手を引く親子がみれる、その演出がぞくっとしました、(いい意味で)



あと、

萩野と「はるか」(同一人物だけど)、ちょいちょい、同じ動きをするんですよね

センターでも伴侶の前でも、ため息とか、眠ってて起きたときとか、

ふと「はるか」が出てくるときがあって、そこも「変われない、付き合っていくしかない」に繋がってて、

矛盾がないんですよね、萩野の最後の長いことばには(だから母親にも響いたんだと思います)

あと、「、」の意味が、最後にわかったときもはっとする

わたしも、今回は、意識してブログ書きました

普通ってなんでしょう?

境界線はどこなんでしょう?そんなものはないのかな?

またみたいなと思います、きっと、自分の立場が変わったら、

また見えてくるものは違うし、感じることも違ってくるし、

感情移入できるひとも、変わってくると思います、

でもきっと、、、









答えはみつけられない









最後まで、ご高覧いただき、ありがとうございました

『わたしの、領分』ホームページ▶︎舞台『わたしの、領分』

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